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■タイトル 第19回地域づくり団体全国研修交流会秋田大会に出かけてきました。
■最終更新日時 2004年02月02日10時44分40秒
■概要 8月28日、29日秋田県内各地で開催。秋田たっぷりのおもてなしとお国自慢が印象的でした。八竜町の白神4分科会「創作ミュージカルが地域を元気にする」に参加。詳しくは本文をご覧ください。写真は本物の「秋田小町」です。中仙町「ドンパル」屋外で開かれた「お別れ会」に参加してました。
■本文 【1】出会い
 秋田駅から奥羽本線で約1時間、昭和の大規模干拓地として名高い八郎潟の先に、案内の森岳駅があった。役場の教育委員会のマイクロバスと職員が送迎に出向いており、同じ電車に乗っていたらしい5人が乗り合わせ、小雨の煙る1本道を20分かけて、白神4八竜分科会『創作ミュージカルが地域を元気にする』の会場「砂丘温泉ゆめろん」に到着した。この分科会は全国から18名。地元13名の参加で行われた。
 会場は定員で満杯規模の会議室のほか、宿泊、温泉、宴会場、駐車場を持つ小規模の比較的新しい宿泊施設。開始時間まで、割り当てられた3人部屋で名詞交換となった。
【2】分科会
 午後2時、主催者、町長の挨拶の後、参加者紹介があり、いよいよ分科会が始まる。
三つの事例が活動発表として紹介された。それぞれの特徴的な点を列記する。
 一番目の「八竜ミュージカル第3回公演を終えて」と題した「八竜ミュージカル21の会」の脚本・演出を担当した岩谷氏は、地元小学校の校長を退職の後、全国の「八」の付く町を自転車で回ったという位、郷土を愛する学識者。人口8千人弱の町はそれだけで認知度が高い。鑑賞、脚本、製作にそれぞれ1年を費やし、3年ペースで3回目の上演を昨年11月に終えている。質を上げるため、同県田沢湖町の「わらび座」東京の「俳優座」などからも講師を招き6回のワープショップも行うようになったとの事。
 二番目の「能代ミュージカル制作委員会23年の歩み」と題した「能代ミュージカル制作委員会」の平川氏は過去22回もの公演では舞台監督暦もある、現職の教育委員会次長の肩書きを持つ。よくありがちなホール建設・会館オープンに伴なう「こけら落とし」を契機に始まったのがこのミュージカル。現在では「NPO法人・能代市芸術文化協会」の中の一セクションに制作委員会が加盟し、市ぐるみの取り組みが続いている。近年は参加する子ども達を「能代ミュージカルキッズ」として独立させたり、音楽担当を「能代ミュージカルアンサンブル」としてまとめたり、又演劇だけを専門的に担う集団も生まれていると言う。平成4年の「地域づくり表彰国土庁長官賞」受賞の際、何故「文化芸術の賞」ではないかと思ったと語るほど、ここも表現の質にこだわっている様子を伺える。
 三番目の「琴丘町縄文ページェント実行委員会」の報告者は、総監督2代目で、「東京キッドブラザーズ」に在籍経験のある地元副住職の渡辺氏。上演されたビデオは1代目の琴丘町招聘文化人作曲家という肩書きの方が2000年度に演出した作品。ページェントとは野外劇の事を言うので前例とは少し異なり、縄文土器産出の里から発信する前衛的な「縄文賛歌」とでも言うべきもの。この作品の構図を毎年繰り返しながらも9年を「壮大なるマンネリ」と居直り、継続している所に、大集団野外劇ならではの表現形態を感ずる。
 以上報告の他、「NPO法人・市民創作『函館野外劇』の会」から今年7月に16回の公演を終え、国内最大規模となった野外劇の紹介があり、県外からの観客動員を増やし、函館からの地域発信の大イベントに、という熱いメッセージも報告された。
札幌の「雪祭り」を身近に持つ、函館ならでは発信性と感じた。
【3】理想は課題からの切り口 
事例報告の後、予算、レベルアップのための招聘講師、参加性と芸術性など、幾つか課題が出されたが、これより先に話しを深化させるには、導入の切り口が前段すぎて時間がなく、夜の「交流会・夜鍋トーク」に譲る事になった。
【4】共通するもの
 夜の各会で議論した人たちとの話を元に、いささか主観的に要約すると幾つかの共通点と、地域と文化に関わるこれからの地域づくりへの展望が垣間見えた。
 「歌って、踊って、お芝居ができる」これがミュージカルの要素だ。参加住民のそれぞれの希望を取り入れることができ、全員が集まらないと稽古の出来ない演劇づくりと異なり、各分野ごとに作り上げ、最終段階の合同リハーサルで一挙に完成させることができる。町の規模が小さいほど、町全体の取り組みが可能な点。
 いずれも回を重ねるほど、より高い表現の質を求めたくなり、郷土と関係のある専門家を中心に置きたくなるという点。
 創作のテーマを郷土の歴史や民話など、郷土の文化的資産の再発見に努めている点。
 以上三点が共通する。すなわち私たちが日常耳にする「ミュージカル」というイメージではなく「パブリック・ミュージカル」と銘々できる、芸術表現を手段としたプログラムの一種と分類した方が理解しやすいのではと、私たちのテーブルの交流会では話題が弾んだ。
【5】手段としての文化芸術
 そもそも私たちの国の文化政策は文明開化の「錦の旗」の元、西洋文化に追いつけと音楽、美術の国立大学を作った。創作者と鑑賞者の対立を深めるための文化政策がその後長期に渡って続き、素人の参加は演劇の分野に残された。物質的欲望という言葉に象徴される時代が去り、精神的充実が人々の生きる力と理解されるようになって、「市民参加」がさまざまな分野に取り入れられるようになった。文化芸術分野でもここ10年程前から、公共施設に市民参加文化芸術プログラムが取り入れるようになり、こうした時代を反映するかのように「文化芸術振興基本法要項」では抽象的ながらも、「人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供」と、その使命を豊な社会づくりのためと謳った。
 誤解してならないのは、これが本来の芸術の姿というのではなく、文化芸術などの創作活動が、専門家だけの特権ではなく、人々の生き方や、人生にとって必要な素養
でもあるという事だ。かつて村祭りには「村芝居」があったように、コミュニティ形成の表現手段としての文化芸術活動は、今後一層重要な役割を担っていくのではと思われる。但し、事例報告から共通する「コミュニティのサイズ」に見あった満足度を求めないと、過度の負担が行政に、あるいは住民にかかるのも公共的な文化芸術活動の特色であることも付け加えておきたい。
【6】全体会と再会の約束
 さて、分科会終了後であるが、悪天候ということもあって、全員がマイクロバスに乗せられ釜谷浜海水浴場へ。日本海の鉛色の空と海を背景にした「砂像見学」である。八竜町が全国砂像ネットワークに加盟し、夏の大きなイベントにしているとのこと。
この時のために、砂像の解体を引き伸ばしていたとの話には脱帽。また、石川県羽咋市の砂像づくりイベントだけは全国ネットに加盟していないとの説明もあり、バス内でいささか小さくなってしまった。その後「温泉タイム」宴会場での「交流タイム」別室での「夜鍋トーク」と続いたが、印象的な点がふたつあった。
 創作ミュージカルがテーマの分科会だけあって、30名ほどの各ミュージカル参加者がテーブルに分かれて配置されたり、全員のコーラス披露があったりとなかなか組織的な盛り上げがあったこと。そして次回開催地の「鹿児島」勢が焼酎持参で各テーブルを回り、招聘活動に熱心だったことだ。
 翌日、朝8時すぎ、観光バスで約2時間。秋田県を南へ縦断する。到着地は「米・酒・美人」とそのまんま秋田を代表する「中仙町」は「ドンパル」という小規模ホール。すでに「全体会」は始まっていて、「笑点」よろしくユニークな「地域づくり談議」「地域づくり大喜利」そして「民族芸能披露」と続いた。屋内セレモニーが終了となり、引き続いて屋外での「全体交流会」へと移動。酒の樽割りで始まり、そば・うどん・お酒の振る舞いが続く。そんな中「ドンパン節」の披露には参加者も交じって、会場はもうこれ秋田一色と化す。
 午後1時、参加者はそれぞれの行き先へ用意された観光バスに乗り、手を振る「秋田美人」に別れを惜しみつつ帰路についた。
 まさに、「おもてなし」と「お国自慢」の「地域づくり研修交流会」だったが、受け入れ側にとって、何をお土産に帰ってもらうか、しっかり見極めないと単なる観光PRになってしまう怖さも一方で感じた。
■画像 本物の秋田小町


(特)いしかわ市民活動ネットワーキングセンター
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